2020-11-13 第203回国会 衆議院 法務委員会 第2号
そして、その三年後の一九三八年には、六帝大全部に荒木文部大臣が人事介入を行っていく。そして、大学にとどまらず、先ほど言ったように、国会全体が萎縮していく。そして、滝川事件からわずか七年で、我が党を除く全ての政党が解党して、いわゆる政党政治、ひいては議会政治がやはり崩壊していくわけです。ニーメラーの詩というのは、言葉というのは、日本でもまさに同じ時期に進行していたということであります。
そして、その三年後の一九三八年には、六帝大全部に荒木文部大臣が人事介入を行っていく。そして、大学にとどまらず、先ほど言ったように、国会全体が萎縮していく。そして、滝川事件からわずか七年で、我が党を除く全ての政党が解党して、いわゆる政党政治、ひいては議会政治がやはり崩壊していくわけです。ニーメラーの詩というのは、言葉というのは、日本でもまさに同じ時期に進行していたということであります。
昭和二十四年の吉田総理から始まって、二十六年の天野貞祐当時の文部大臣の国民実践要綱構想、あるいは昭和三十一年の清瀬一郎当時の文部大臣の臨時教育制度審議会設置法案提出の中における、国家、公に対する忠誠を基本法に入れるべきであるというふうな主張、あるいは昭和三十八年の荒木文部大臣の中教審へ期待される人間像の諮問の中で、立派な日本人をつくる観点から基本法再検討を、あるいは昭和三十二年から三十九年にわたる憲法調査会法
これは、どうせ読んでもいないのだからわからないでしょうが、これを一年半かけて答申をなすったものを荒木文部大臣は法制化しなかったのであります。どうして法制化をやらなかったのですか。御存じですか。--いや、大臣に聞いているんだ。
○中井委員 清瀬文部大臣のときに諮問をして、荒木文部大臣のときに答申を受けた。一年六カ月の期間をかけて、そして十七回の特別委員会をおやりになって答申をお出しになりました。この答申の中身、御存じですか。
そういう中で宗教団体法が成立したわけでございますけれども、当時の荒木文部大臣の提案理由の中におきましても、現下の非常時局においては、人心の感化、社会の教化に大きな影響を及ぼす宗教の健全な発達が肝要である、そのような見地に立って、宗教団体の発達並びにその教化機能の増進を図るということを目的として宗教法規を整備するということは、目下急務であると信ずるというふうに述べられているところでございます。
当時の文部大臣、ちょっといまど忘れしましたが、大牟田から出ておられて長らく文部大臣をされた――荒木文部大臣、それから、いま大蔵省がこういうことを言っておりますから、その当時の大蔵大臣はどういう発言をしておられるかと思ったら、いずれもこれは憲法二十六条のこの精神を生かすために無償制度を今度つくるんだ、これは日本の教育制度において画期的なすばらしいことをやるわけでございます。
しかし、ついに荒木文部大臣は踏み切ってテープを使わした。それを使わしておるから、前回も私がああいう指摘をし、今回もこういう指摘ができるんです。あれがなかったらもっと暗い検定です。検定官はどう言って射るかといいますと、こういう尊大な言い方ですよ。著者が心血を注ぎ、そして編集者が校正を厳にし、検定の段階でさらに検討が加えられた教科書に誤りはないはずである、こう言っておるんですよ。いいですか。
次に伺いますけれども、荒木文部大臣のときに、日本の学級の適正規模について調査する必要があると大臣がおっしゃっておりますが、文部省として日本の学級の適正規模を調査なさっておりますか。
○栗田委員 前に荒木文部大臣がおっしゃっているのですから、他のいろいろな研究所の調査とあわせてやはり文部省としてもなさっていく必要があると思いますが、今後いかがでしょうか。
このときに、いまも話に出ました学級の適正規模については検討しなければならぬということを荒木文部大臣がすでに言っているわけですね。これは十六年前のことです。そしてこれを受けまして四十九年の定数改善の法案審議に当たりまして附帯決議がつけられました。その附帯決議は、先ほども御質問がありましたように五年間の計画中に次の計画を立てるという附帯決議です。それから昨年度一年空白を置きました。
○国務大臣(内藤誉三郎君) 実は教科書無償は私がちょうど文部次官のころでして、当時の池田内閣、荒木文部大臣のもとで私はやらせていただいたんですが、そのときの官房長官が大平いまの現総理でした。
これは、第一回の文部省教育課程研究発表大会において荒木文部大臣の発言があるわけですが、これらも全く乱暴な発言になっているわけです。たとえば、日教組のやっている教育研究というのは「教育は中立だとする教育基本法への挑戦である。」それから、「日教組は教研活動をやっているが、一種の教育泥棒であり、ヤミ文部省的行為である。日教組といわず、日教組征伐をつづける。日教組は死んだふりをしているあばれ馬である。
かつて荒木文部大臣が高専設立のときに、いわゆる二級国道論というのを出しておるわけですね。東海道だけでは不十分だからもう一本二級国道的なものを考えなければならないと答弁いたしておりますが、一般大学と並行した二級国道的大学というのは屋の上にまた屋を重ねるという結果になるのではないかと思うのですけれども、これについての見解を伺っておきたいのであります。
そして荒木文部大臣は、自分はどういう文教行政をやるかということはまだ一言も言っていないわけです。ただなったということがわかっただけなんです。その日に学校にビラが出まして、荒木文政の方針反対、粉砕とこう出るのです。(発言する者あり)いや、事実こういうことがある。これは非常に考えなければいけないことだといって、当時学生諸君に私は申しました。その考えは私は今日も変わりません。
ことに、高専をつくります場合の当時の荒木文部大臣の説明では、いまや東海道だけではだめだ、二級国道が必要だというような発想もあるわけですね。 これらのことを考えてみますと、確かに希望や要請はある。
ところで、この設立までのいきさつをちょっと調べてみますと、当時の荒木文部大臣はこういうふうに言っているわけです。「複線型の方がより多く青少年に教育の場を与えることにもなるし、」と国会で答弁をいたしております。さらに「複線型をこの際創設することがより教育目的にかなう」こういうふうにも言っております。
それで、この問題についてはすでに昭和三十五年ごろに当時の荒木文部大臣が答弁をいたしております。そういう傾向がいよいよ激しくなった場合には、日本共産党員という資格でもって、そうして現場におるということについては、これはやはり政府としてこの傾向は重要視しなければならぬ、そこでこういう教員に対しては情報の収集ということはなおざりにしてはならぬということの答弁がなされております。
○木田政府委員 大学の教官につきまして、給与を高めなければならないということを国会の場でも御相談申し上げましたのは、荒木文部大臣のころだったかと思っております。昭和三十五、六年のころじゃなかったかと思います。
荒木文部大臣、坂田文部大臣、奥野文部大臣、少しずつニュアンスが変わってくる。それでは大学の学問の自由その他に対して非常に不安定なものを与えるのでお聞きをいたしたいのです。 同時に、この筑波大学は、先ほど山原委員が盛んに論議をしたように、学外人によって組織する参与制度も入ってきておる。
○吉國政府委員 先ほど申し上げましたように、荒木文部大臣以後につきましてはその表現においてややそごする点はあったかと思いますけれども、最終的な見解といたしましては、荒木大臣、坂田大臣、奥野大臣との間にそごするところはなくて、先ほど私が法制局の見解として申し上げたところと実質的には同じ見解を答弁において述べたものと思います。
荒木文部大臣当時から一貫をしておるというのでありますから、これは私が直接質問に立って荒木さんの答弁をいただいたことから、これは正確にしておかなければいかぬので、これは昭和三十八年六月十四日の文教委員会の議事録です。ちょっとそのところだけ読んでみますと、これは私の質問です。「先般の文教委員会で私質問して、文部大臣の任免権の中に学長の拒否権はあるかないかという質問に対して、拒否権は現行法上もある。」
○山中(吾)委員 文部大臣、私と荒木文部大臣のときの速記録、それから坂田文部大臣との速記録、法制局長官の解釈、あなたの答弁、全部お読みになって次の機会に明確に答弁をしてください。それによって理解をするかしないかを私はきめます。委員長いいですか。この問題を保留します。(発言する者あり)なっておりません。速記録を知らない人ばかりが、そう言っている。私は当事者なんです。
それについてもう一歩さかのぼりますと、荒木文部大臣のときには完全にあると言っている。大学総長の認証に関する法案のときに、私はそういうことはないとすっぱく言っても、荒木文部大臣は再三拒否権はある。大臣がかわるごとに解釈が変わってはどうにもならないと思います。
荒木文部大臣の場合については、もう少し詳しく吟味すればいいのですが、「拒否権というものがあるはずだ、その解釈が私は憲法解釈上正しい、こう思うものでございます。
そうすると、過去にそうそうたる大臣たちが、これは荒木文部大臣、中村文部大臣、灘尾文部大臣、剱木文部大臣、坂田文部大臣、歴代の文部大臣の所信として、「特殊」教育の振興に尽くしたいとみなだれも述べておりますね。それほど重点施策として御努力をされているのであれば、少なくとも一〇〇%とまではいかないまでも、もっと私はこれは進歩しているだろうと考えていた。
閉ざされて進学をすることもできない、編入をすることもできないという状態に置かれておる、いわゆる袋小路の問題でありますけれども、これにつきましても、国会の答弁では、荒木文部大臣がはっきりその道を開きますということを言っているわけです。